喧騒の中から調和を見いだそう
喧騒をかき分け存在感を発揮するBillie Joe Armstrong
Billie Joe Armstrong(ビリー・ジョー・アームストロング)がパンクロックのアンダーグラウンドから世界中のスタジアムを満員にするまでの道のりは、決して容易なものではありませんでした。山もあれば谷もあり、さらに曲がり角に直面することもありました。それでもビリーは、いつも立ち上がり続けたのです。それは、彼が歩んできた道のりで出会った人々のおかげでもあります。
好きな音楽を演奏するということは、ボロボロのフォードのバンに乗って、みすぼらしいライブ会場や廃屋でのパーティー、バックヤードでのギグなどを回ってきたということです。ビリーはくる夜もくる夜も、今でも名前を覚えているという人たちの家の床で眠りにつきました。こういった初期の頃の活動はお金になりませんでしたが、多くのファンを手に入れました。
Billie Joe Armstrong
「僕のことを少しでも知るなら、僕の中ではずっと音楽が流れていることを知っているだろう」
反抗か団結か
ビリーが自身の個人的な体験をもとにした歌詞は、まったく異なる人生を歩んできた人々の心に響き、彼を天才だと強く信じさせてきました。今までパンクというジャンルに触れたことがない人々にもその精神を広めた、音楽界の謎を秘めた人物なのです。ビリーはパンクが反抗的な響きを持ちながらも、どんな人にも親しみやすいことを証明してきました。
彼の感情をむき出しにした、しばしば政治的な歌詞は、「Green Day Idiot Nation」と呼ばれる何世代にもわたるティーンエイジャーのアウトサイダーたちから熱狂的な支持を集めてきました。ビリーは、言葉の力でオーディエンスを反発させることも、ひとつに団結させることもできることを知っています。もちろん彼はいつも後者を選んできました。
ロックンロールは生き方だ
今日まで、ビリー・ジョー・アームストロングは時代と場所を越えて、人々に影響を与え続けてきました。Green Day(グリーン・デイ)の絶頂期にある時でさえも、ビリーはどうにかしてルールを破って多くの新しいファンとつながる方法を探し続けています。例えば、グリーン・デイのカバーナイトの最中にローカルのバーのステージにふらりと上がり、歌ったりするようなことです。ロックンロールが生き方そのものであることを実際に体現した音楽界のレジェンドと一緒に仕事ができることを、私たちは誇りに思っています。