若かりし頃のジム・マーシャルが、自身の名前が刻まれたドラムキットとポーズを取っている。これは、彼がのちに作るアンプがMarshallというブランドになる前兆となるものだった。
のちに「ラウドサウンドの父(Father of Loud)」として知られるJames Charles Marshall(ジェームス・チャールズ・マーシャル)は、幼い頃から骨結核に悩まされていました。彼は足の骨を丈夫にするため、若い頃からタップダンスを始めました。そこで若きジムは自分が音楽の才能を持っていることに気づきます。学業にはまったく興味がなかった彼は、代わりに歌とドラムに集中することを選びました。
30年代後半までに、ジムはセミプロの演奏家となり、最初はオーケストラの歌手として、次に7人編成のバンドのドラマーとして活躍をしました。それはスクラップヤードやビスケット工場、靴屋、缶詰製造工場など、多くの仕事を掛け持ちしながら音楽に情熱を注ぐ日々でした。
40年代後半になると、ドラムの名手から65人の生徒を教えるドラム教師へと成長したジム。その生徒の中にはThe Dominators(ザ・ドミネーターズ)でRitchie Blackmore(リッチー・ブラックモア)と演奏をしていたMick Underwood(ミック・アンダーウッド)、Little Richard(リトル・リチャード)のMicky Waller(ミッキー・ウォーラー)、The Jimi Hendrix Experience(ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス)のMitch Mitchell(ミッチ・ミッチェル)がいました。ジムは「チャリング・クロス・ロードのセルマーショップでプレミアドラムを買って、それを生徒に売っていた」と2019年のドキュメンタリー映画『The Jim Marshall Story』で当時を振り返っています。
「スタジオであろうとライブであろうと、最初に準備をするものはいつもMarshallだ」- ジム・マーシャル
Uxbridge Road 93にMarshallの2号店をオープン。左から右へ Jim Marshall、Screaming Lord Sutch、Terry、Doug Henning(Fleerekkersのベース奏者)、Pete McClements。<Jim Marshall & Son>のオープンを知らせる広告。
1960年7月7日、20年以上にわたるライブ活動を続けてきたジムは、妻のヴァイオレットと息子のテリーと共に、ロンドンの郊外の町、ハンウェルのアクスブリッジロード76番地に<Jim Marshall and Son>(1962年に<J & T Marshall>に改名)をオープンしました。現在、その通りにはMarshallブランドの始まりを記念するプレートが飾られています。
創業当時の広告とジム・マーシャルの記念プレート。