モッズとロッカーズがブライトンで騒動を引き起こした。バイクと一緒に、レザーやチェーンを身につけてポーズを取っているロッカーズたち。
モッズとロッカーズと言えば、ブライトンビーチで怒りにまかせて追いかけあっていた不良たちだと思われがちです。しかし、1964年頃のセンセーショナルなメディアの描写(のちに1979年の映画『Quadrophenia』で不朽の名作となる)は、この2つのサブカルチャーが本当に表現していたもののほんの一部にすぎませんでした。
60年代、ソーホーのカーナビー・ストリートで購入した緑色のパーカーに身を包んだモッズたちは、ベスパやラムレッタのスクーターでロンドン中を疾走し、The Who(ザ・フー)やThe Yardbirds(ヤードバーズ)のアンセムを口ずさんでいました。一方、彼らのライバルであるロッカーズたちは、Johnny Kidd(ジョニー・キッド)やBilly Fury(ビリー・フューリー)の信者で、黒いレザージャケットを身にまとってテムズ川沿いの悪名高いチェルシー・ブリッジのティーストールに集まっていました。彼らの暴力的な衝突はよく知られていますが、彼らのグループが実際に労働者階級文化において重要な役割を果たしたことも事実です。
1964年8月、モッズとロッカーズがヘイスティングスの海岸で衝突。
第二次世界大戦の影の下、若者にとって将来の見通しが限られていたこの国で、ロックンロールは聖域を与えることができました。
スクーターでブライトンのビーチに集うモッズたち。一方、ロンドンのロッカーズのメンバーは、バイクやクイフ、黒いレザージャケットが特徴だ。
その後の数年間において、イギリスのバンドによるアメリカへの「ブリティッシュ・インヴェイジョン」の火付け役となったのは、間違いなくモッズとロッカーズでした。なぜなら、このムーブメントの先陣を切ったThe Beatles(ザ・ビートルズ)は、初期キャリアのさまざまな場面でこの2つのサブカルチャーをお手本にしていたからです。ビートルズは60年代初期にレザージャケットからモッズスーツに着替え、ドラマーのRingo Starr(リンゴ・スター)が1964年にユーモアたっぷりに自分は実は「モッカー」だと主張するようになりました。この対立的なサブカルチャーの姿勢は、10年後にはThe Clash(ザ・クラッシュ)やThe Sex Pistols(セックス・ピストルズ)のようなアーティストの燃料となっていきます。
実際、彼らは象徴的でトライバルなアイデンティティの核心であり、それは今日まで社会に消えない足跡を残しています。世界中の熱狂的な支持者は、今もなお存在し続けているのです。
しかし、この2つの派閥の抗争が最終的に示したのは、若者たちが身につけていた服や聴いていた曲は、親世代が考えていたよりもはるかに深い意味を持ったものだったということです。
ロンドンのチェルシー橋でポーズをとる2人のロッカーズ。