1980年代中頃のヒップホップの爆発的な成功において中心的な存在であったBeastie BoysとRun-DMC。
ヒップホップは70年代のニューヨークで生まれました。伝説のDJ Kool Herc(クール・ハーク)がブロンクスのブロックパーティーでファンクやディスコのレコードをサンプリングする一方で、別の場所ではGil Scott-Heron(ギル・スコット・ヘロン)のようなポエトリー・スラムの詩人たちが、歌詞を通してストーリーを人々に伝えていました。この2つの芸術スタイルが融合したとき、新しいサウンドとサブカルチャーが誕生したのです。
80年代に入るとヒップホップはアメリカ中の注目を集め、レーガン政権に疲れ果てた世代の反骨的なサウンドトラックとして確立されていきます。そしてRun-DMC(ランDMC)とAerosmith(エアロスミス)の1986年のコラボ曲『Walk This Way』が、ヒップホップのメインストリームでの躍進を確固たるものにします。この曲のミュージックビデオは、画期的な音楽テレビチャンネルMTVによってヘビーローテーションされます。この時、ヒップホップカルチャーが郊外へと発信され、ラッパーもロックスターになれることを大衆に知らしめました。
ストリート色の強い画期的なコラボレーションが誕生しました。
1975年にロックバンド、エアロスミスがリリースした『Walk This Way』は、プロムの夜にオタクが女の子と仲良くなるような幸福感を歌う、快活なスタジアムアンセムでした。1986年には伝説的プロデューサーであるRick Rubin(リック・ルービン)が、クイーンズのラップトリオ、ランDMCにこの曲のギターリフをフリースタイルで歌わせました。こうやって、ストリート色の強い画期的なコラボレーションが誕生したのです。
1986年にリリースされた『Walk This Way』のリフレッシュバージョンにより、ロックバンド、エアロスミスは完全なキャリアの復活を果たした。
リミックスされ、リフレッシュされたこのヒットシングルはビルボード100の4位にランクインし、対照的な2つの音楽文化を結びました。一方、多くの人に視聴されたこのミュージックビデオは、さまざまな壁を取り払う役割を果たします。音楽のジャンルや人種に関する偏見や分断がますます顕著となり、それは重要な社会的声明として浮き彫りにされたのです。同じリビングルームの一方でロックバンドが演奏し、もう一方でラップグループが演奏する象徴的な姿は、MTV世代にとって重要でした。そして、過去の名だたるロックスターの楽曲がサンプリングされ続けていく中で、Beastie Boys(ビースティ・ボーイズ)やN.W.A.(エヌ・ダブリュ・エー)のようなヒップホップグループが、現代のアイコンそのものとなりました。
80年代に入るとヒップホップはアメリカ中の注目を集め、ある世代の反骨的なサウンドトラックとして確立されていきました。
この1986年の『Walk This Way』の新バージョンは、エアロスミスのキャリアを復活させました。また、この曲はMTVで大々的にフィーチャーされた最初のヒップホップグループとなったランDMCが、『ローリング・ストーン』誌の表紙を飾った最初のラップグループになるきっかけにもなりました。その後、Del Tha Funkee Homosapien(デル・ザ・ファンキー・ホモサピエン)やDinosaur Jr.(ダイナソーJr.)、Public Enemy(パブリック・エネミー)、Anthrax(アンスラックス)、Jay-Z(ジェイ・Z)、Linkin Park(リンキン・パーク)など、が多くの素晴らしい試みがあったにもかかわらず、この曲はラップとロックの融合というスタイルにおいて今もなお融合の基準であり、特別な地位を持ち続けています。
コーチェラフェスティバルでパフォーマンスをするJay-ZとBeyonce。