ソングライター、ダンサー、俳優、監督、プロデューサー、エンジニア、これらはPrince(プリンス)がその音楽的レガシーを通して獲得し、提唱した肩書きのほんの一部に過ぎない。この記事では、『 The Purple One 』の歴史、演奏スタイル、そして彼がキャリアを通して使用した機材について紹介する。
彼はアルバムの作曲、プロデュース、27楽器の演奏、その全てを担当した。
ヒストリー
Princeは50年代後半にミネソタ州ミネアポリスで生まれた。両親は共にミュージシャンで、父親のステージネーム「Prince Rogers」を授かる。両親はPrinceが音楽に興味を持つよう後押しし、彼が7歳になる頃には父親のピアノで最初の曲『Funk Machine」を作曲。その後、継父に連れられてJames Brown(ジェームス・ブラウン)に会いに行き、そこで初めてギターを手に入れた。
Princeがバンドで演奏し、その卓越した演奏で人々を感動させるようになるまで、そう時間はかからなかった。18歳になる頃には、PrinceのデモはWarner BrosとColumbia Recordsの耳に届き、新人としては異例の、史上最大規模の契約を結ぶこととなる。レコード契約を結んだ直後、ファースト・アルバム『For You』が制作された。レコード契約を通して、彼はプロデューサーに任命され、これがアルバムのクリエイティブ・コントロール(最終的な作品をどのように仕上げるかを決定する権限を持つこと)を可能にする重要な要因となった。彼はこのアルバムで全27楽器を作曲、プロデュース、演奏している。この彼によるクリエイティブ・コントロールは、Princeのキャリアの大半を通じて一貫しており、その後のすべての青写真を描くこととなる。
1979年、Princeは Doctor Fink( ドクター・フィンク)、André Cymone(アンドレ・シモーネ)、Bobby Z(ボビー・Z)、Dez Dickerson(デズ・ディッカーソン)をグループに迎え入れ、セルフタイトルのアルバム『Prince』をリリース。このアルバムはチャートインした『Why You Wanna Treat Me So Bad』と『I Wanna Be Your Lover』を収録し、100万枚以上の売り上げを記録した。Princeはアルバム『Dirty Mind』、『Controversy』、『1999』で成功を収め続けたが、彼の音楽的遺産を物語るアルバムをリリースしたのは1984年のことだった。
プリンス・ロジャース・ネルソン『パープル・レイン』1984年ワーナー
この時点で、Princeのバンドは The Revolution(ザ・レヴォリューション)と呼ばれ、Doctor FinkとBobby Z、さらにキーボードのWendy Melvoin(ウェンディ・メルヴォワン)とギターのLisa Coleman(リサ・コールマン)が加わった。 彼が自伝的映画『Purple Rain』に出演するようになったのは、このThe Revolutionがきっかけだった。この映画は全世界で7,200万ドル以上の興行収入を記録し、 アカデミー賞では歌曲・編曲賞を受賞。その後のアルバムにはヒット曲『Purple Rain』、『When Doves Cry』、『Let's Go Crazy』などが収録され、2,500万枚以上を売り上げを記録し、13xプラチナに認定された。
Princeは絶え間なく仕事への情熱を注ぎ続けることでよく知られていた。その後も、2本の映画と30枚以上のアルバムをリリースし、多くのヒット・シングルを生み出した。また、彼はChaka Khan(チャカ・カーン)、Madonna(マドンナ)、Sinead O'Connor(シネイド・オコナー)、Alicia Keys(アリシア・キーズ)など、他のアーティストのために数え切れないほどの曲を書き、多くのアーティストと共演した。他にも、PrinceはしばしばThe Kid(ザ・キッド)、Joey Coco(ジョーイ・ココ)、Alexander Nevermind(アレキサンダー・ネヴァーマインド)、Camille(カミーユ)などの別名義を使って他のアーティストのために曲を書いたり、自身の曲を制作したりしていた。しかし、彼のギタースタイルと曲の構成は特徴的なので、ファンがそれらの音楽の背後にPrinceがいると見破るまでに、そう時間はかからなかった。
Levi Seacer, CC BY-SA 4.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0>, via Wikimedia Commons
使用機材
Princeはスタジオで膨大な量の機材を使ったが、彼のライブ機材はさらに特筆すべきもがある。初期にはGibson L6S(これは後に改造が施され、なんとヒョウ柄に覆われた!)を演奏する姿が見られ、その後、象徴的なH.S. Anderson Madcat Telecasterに持ち換えた。これが彼のメインギターであり、多くのレプリカやさまざまなバージョンが作られた。
それに続いて、Rusan GuitarworksのDave Russan(デイブ・ルサン)が製作した、EMGアクティブ・ピックアップ、Schallerチューニング・ペグ、信じられないほど小さなフレームとユニークなシェイプが特徴の象徴的なギター「Cloud」も愛用している。このCloudギターは、当時のプリンスの美学にマッチするように複数のカラーで制作された。
Princeは個性的なギターとともに、DigitechのWhammyやワウ・ペダル、そしてもっぱらBossのペダルを使った。使用したのは、ブルース・ドライバー、ターボ・ディストーション、オクターブ、フランジャー、ディレイ、ビブラート、そしてLine 6のMM4モジュレーション・ペダルだ。 このセットアップは、Mesa Boogieのコンボアンプか、改造されたMark II Coliseumに接続され、MesaかMarshallの4x12キャビネットと組み合わされた。
© Nancy Kaszerman/ZUMA Wire
演奏スタイル
パフォーマーとして、またアーティストとして広く称賛されているPrinceだが、その演奏能力は見過ごされていることもある。特に、彼の豪華な衣装、一連のダンスとその振り付け、ステージでのアクロバットを考えるとなおさらだ。幅広いジャンルで活躍したプリンスは、演奏に関してもさまざまな感性を持っていた;以前のアルバムでは、クリーン・ファンク・コードが主流だったが(ヒット・シングル「Kiss」の冒頭で演奏される象徴的なE9コードがその典型だ)、激しく歪んだギター・パートやソロは、ソウル・トラックとしばしば共存していた。例えば、アルバムPrinceに収録の「Bambi」は、パワーコードとマイナー・ペンタトニックのリックを奏でるオーバードライブ・ギターに全ての焦点を当てている。ファンクからの影響により、グルーヴは非常に重要で、音楽の構造の中でいつで演奏し、演奏すべきで無いかを心得ていた。
ファンクをベースにした曲での卓越したリズム・ワークもさることながら、彼の演奏の大きな部分を占めていたのはギターソロだった。Princeはサステインの多用と共に力強いベンド(チョーキング)することを躊躇うことなく、それらを速弾きやトリルと難なく組み合わせた。彼はまた、ハンマリング・オンやプル・オフ、開放弦でのプル・オフ、極めて速くカオティックなピッキング(Purple Rainのソロ・セクションで顕著だ)を多用した。コードとスケールに関して言えは、リズム・ワークにはファンクのプレイスタイル、ギターソロにはジャズやメタルからの影響に注目するといいだろう。