1978年、ロンドンで行われた「Rock Against Racism」のチャリティーコンサートで、The WhoのPete TownshendはMarshallの機材を使ってメッセージを強調した。
1968年に保守党下院議員のイーノック・パウエルが行った悪名高い「血の川」演説では、イギリスの移民の流入率を批判し、人種差別撤廃法案に反対したことで、極右組織「イギリス国民戦線(ナショナル・フロント党)」への支持が高まりました。黒人サッカー選手が人種差別的なチャントにさらされ、1976年のシク教徒の少年グルディップ・シン・チャガーの殺害など、人種差別を動機とする殺人事件が起こるにつれ、あらゆる国籍の移民が暴力の恐怖に怯えながら暮らすようになり、イギリス社会はますます殺伐とした雰囲気になっていきます。
この不安の頂点にあった1976年、Eric Clapton(エリック・クラプトン)はバーミンガムでのコンサートでパウエル支持を表明し、観客に「イギリスが黒人の植民地になるのを止めるべきだ」と呼びかけたことで、大きな議論を巻き起こすことになります。彼の発言はRed Saunders(レッド・ソーンダズ)、Jo Wreford(ジョー・レフォード)、Peter Bruno(ピート・ブルーノ)らを激怒させ、彼らはNMEに辛辣な反論文を寄稿しました。この反論文は広く転載されて出回ります。結局のところ、クラプトンはブルースの研究家であり、その数年前にはBob Marley(ボブ・マーリー)の『I Shot The Sheriff』をカバーしてヒットさせていました。彼は自らが中傷したコミュニティに大きな借りがあったのです。
「Who shot the sheriff, Eric?(誰が保安官を撃ったんだ、エリック?)それは確かにお前なんかじゃない!(ボブ・マーリーの曲『I Shot The Sheriff』にかけた皮肉)」 レッド・ソーンダズ、ジョー・レフォード、ピート・ブルーノ、1976年。
この対立は、イギリスの音楽業界で最も注目すべき反人種主義運動の基礎となりました。ロック・アゲインスト・レイシズムは政治的な文化団体であり、国中を席巻する排外主義に対抗するために、イギリスで最もホットなミュージシャンたちを集結させました。1976年にDavid Widgery(デヴィッド・ウィジェリー)が書いたマニフェストには「反逆の音楽、ストリートの音楽、本当の敵が誰なのかを知っている音楽を求める」という文言があります。そしてこのマニフェストは「LOVE MUSIC HATE RACISM(音楽を愛し、人種差別を憎もう)」という力強いメッセージで締めくくられています。
X-Ray Spexは、パンクアイコンであるソマリア系イギリス人のPoly Styreneがフロントを務めるパンクバンドで、1978年ロンドンのヴィクトリアパークで開催されたロック・アゲインスト・レイシズムのコンサートに出演したアーティスト。コンサートには、The ClashのMick JonesやTom Robinson BandのギタリストであるDanny Kustowも参加した。
このイベントは、国をひとつにしたライブとして語られました。
コンサートやクラブイベント、ツアーには、あらゆる人種やバックグラウンドを持つミュージシャンが集まり、レゲエ、ロック、パンクがロック・アゲインスト・レイシズムのメッセージの中心となりました。1978年4月30日、ロック・アゲインスト・レイシズムにおいて伝説的なデモ行進がロンドンで行われました。トラファルガー広場から7マイル離れた国民戦線の拠点であるヴィクトリアパークまでを会場とした野外ライブを行い、10万人もの反ファシストが参加しました。ヘッドライナーにはTom Robinson(トム・ロビンソン)やThe Clash(ザ・クラッシュ)が名を連ね、Steel Pulse(スティール・パルス)やX-Ray Spex(エックス・レイ・スペックス)も出演しました。このイベントは国をひとつにしたライブとして語られ、パンクロックと抗議活動に対する10年間の集大成と評されました。
ロック・アゲインスト・レイシズムの「Carnival Against the Nazis」コンサートで演奏しているThe ClashのPaul Simonon。
同年9月に開催された2度目のカーニバルにも同様の動員数を記録し、参加した人々はハイドパークからテムズ川を渡ってブロックウェルパークに移動し、Aswad(アスワド)、Elvis Costello(エルヴィス・コステロ)、Stiff Little Fingers(スティッフ・リトル・フィンガーズ)のパフォーマンスを楽しみました。さらに続けて開催されたイベントでは、彼らが目的や目標に対してどれだけ熱心に取り組んでいるかを際立たせることになり、それ以来、ロック・アゲインスト・レイシズムの野心と影響力は広く浸透していくこととなりました。
ドイツの反ファシストたちは、1979年にフランクフルトで「Rock gegen Rechts」の旗の下に独自のライブを開催。その後、2010年代にはデュッセルドルフやケムニッツといった都市でも同様のイベントが行われました。2002年にはイギリスで「Love Music Hate Racism」(ロック・アゲインスト・レイシズムのマニフェストにあるスローガンにちなんで名付けられた)が設立され、同年マンチェスターのプラットフィールズパークで、そして2008年にはロンドンのヴィクトリアパークで、ロック・アゲインスト・レイシズム30周年を記念する大規模なイベントを開催しました。彼らは現在も平等のために活動を続けています。