1978年にパフォーマンスを行ったディスコのアイコンDonna Summer。
1969年、ストーンウォール暴動はアメリカにおける現代の同性愛者権利運動の礎となりました。その3年後、アイゼンシュタット対ベアード裁判で、最高裁は避妊具の自由な使用を認める判決を下します。突如として、アメリカは大きな性の目覚めの真っ只中に置かれました。
70年代は、ダンス中心のナイトクラブ(ディスコ)が、ニューヨークやフィラデルフィアなどの都市を蝕む貧困や人種差別、同性愛嫌悪から逃れ、人々が自由に自己を表現できる場所となりつつあった時代でした。ここアンダーグラウンドでは、フレアパンツやジャンプスーツを着た女性たちが、ダンスフロアで自信を持ってダンスをし、同性愛者や異人種間のリレーションシップが批判的な目から遠ざけられ、受け入れられていることに力を感じていました。
人々は自由に自己を表現し、貧困や人種差別、同性愛嫌悪から逃れることができました。
あらゆるセクシャルな思考や社会的背景を持つディスコ好きな人々が、<スタジオ54>のようなクラブのミラーボールの下に集まっていた。
「ディスコミュージック」はこの革命のサウンドトラックとなります。ディスコとは、4つ打ちのドラムビートとグルーヴィなベースラインにヴォーカル、シンセサイザー、ストリングス、ギターを組み合わせたアップテンポのダンスミュージックスタイルです。これは人種や性の境界を超えた音楽であり、ここアンダーグラウンドでは白人、アフリカ系アメリカ人、ラテン系アメリカ人のコミュニティが、あらゆるセクシャルな指向を持つ人々と共に自由や限界を超えた享楽、エロティシズムを表現する激しいビートの中で一体となっていきました。
The Bee GeesとJames Brown、そしてMarshallの広告。
Stevie Wonder(スティービー・ワンダー)やJames Brown(ジェームス・ブラウン)のようなR&Bのスターがディスコサウンドを自分たちの音楽に取り入れると、Donna Summer(ドナ・サマー)、Chic(シック)、Gloria Gaynor(グロリア・ゲイナー)といった新しいアーティストたちがこのジャンルをメインストリームに押し上げます。最盛期には『I Feel Love』、『Everybody Dance』、『I Will Survive』といったヒット曲が、ニューヨークの<スタジオ54>のようなクラブのきらびやかなミラーボールの下で、アフロヘアのセレブリティたちとプラットフォームシューズを履いた人々を一体化させました。
「みんなMarshallのアンプを使っているけど、決してトラブルを起こさないんだ」。ヴィンス・メロウニー(ビージーズ)、『In Beat Instrumental』誌、1967年12月号。
ハリウッドのディスコ映画の大ヒット作「サタデー・ナイト・フィーバー」は、1977年に史上最大の売り上げを記録するサウンドトラックを生み出しました。また、Bee Gees(ビージーズ)のヒット曲『Stayin' Alive』と『Night Fever』は、ヨーロッパとアメリカのチャートでトップに君臨し、このジャンルを確固たるものにしました。その後、ディスコに関連するサウンドとイデオロギーはアフリカ、南米、アジアを駆け巡り、アメリカではハウスやヒップホップ、そして幅広いDJカルチャーの種が芽生え始めました。
1971年の『メロディ・メイカー』誌に掲載されたMarshallの広告。